2005.02.15~03.10 清水公平から銀行振り込み依頼
〃 04.22      渡辺直行が清水から受け取り来広持参
〃 04.23      渡辺と岩国観光
〃 04.24      渡辺と終日船釣り、帰京
〃 04.25      旧札のため、送金電話依頼で日本銀行へ

〃  〃       広島中央警察署刑事2課で「お前の次男が主犯か」と
            厳しい追及、26日の深夜事務所と自宅を家宅捜査
〃26,27,28      取り調べ 
〃 04.30      同署に出頭要請で午前9.15ごろ逮捕
〃04.30~05.19    朝、昼、晩と威圧、脅迫、誘導尋問を含め取調べ
〃 05.20      起訴
〃 07.15      広島地方裁判所 第1回公判

〃 04.31~12.1   可部警察署 留置場 接見禁止
〃 12.02      広島拘置所へ移管    〃
           
〃 11.25         〃    第6回公判
2006 01.20        〃    第7回公判
〃 02.17     接見禁止が取れ約10ヶ月ぶりに家族と接見
〃 08.09         〃    第13回無罪判決

2007 01.09      広島高等裁判所 第1回公判
 〃 05.31        〃     第5回逆転有罪懲役4年
 〃 12.04      広島拘置所へ収監 刑確定    
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何もかにも、話にも聞いたことがない拘置所

生活である。と言っても、独房であり人との

接触がそれほどあるわけではない。

入浴時か、担当官の点呼、買い物時の注文書

提出のときくらいである。それも、殆ど話し

することもない。

従って、他の被疑者や服役者を見るのは、か

ぎられる。

私は、入浴時に声がかかることがおいかった。

といっても、むこうにすれば挨拶のつもりで

あろう。独房の階には、二つの風呂場が隣り

合ってある。また、更衣の籠が中央に一つ上

下段とあり、入浴は、もちろん一人づつだが、

裸になるとき、向かえの人に目を合わすこと

になる。私の年齢のせいか、決まって向かえ

側の人から「お勤めご苦労さんです?」と声が

かかる。そのつど、私は適当に会釈している

が、実際のところはゾートする思いだった。

なにせ、向こうは全身カラーの刺青である。私

など、どこをみても何一つない。とても、声が

かかるような人には見えないはずである。

風呂から出て、この人たちは裸で堂々と風きっ

て歩いている。人間模様がかいまみられるので

ある。
接見禁止とは、弁護士以外に一切会えない措置である。
4月末に逮捕され、翌年2月まで約4ヶ月続いた。家族の
健康や無関係な長男の事務所が家宅捜索を受けている
からどうなつたかーなど、頭が一杯だった。

留置場のとき、同室の家族は1日に2回も面接にきていた。
面談をすませて帰ってくると、家族の話である。それを
聞きながら、じっと耐える気持ちはなんとも例えようの
ない寂しさだった。

何も法に触れるようなことをしていない人間が、突如と
して、外界からも家族からも疎外される気持ちは、経験
しないと分からない。

拘置所に入ったら、警察の留置場違って独房である。人と
話する機会が、弁護士が来たときくらいしかなくなった。
そのせいか、声が出にくくなり焦った。

火、木と週2回の30分ある運動は、ブロックが縦9枚半、横
4枚半の扇状をした中で、施錠され歩き回る。もちろん、接
見禁止の人間は一人である。

このなかで、上から雪がちらちら舞い降りる。手や足も凍傷に
なって、夜になってじんじん痛んでねれないときもあるが、た
った週2回の運動である。できるだけ途中では止められない。

拘置所新人のときだ。点呼が2回あるが、余りの寒さに膝に衣類
をかぶせ正座して点呼を待った。終わって、しばらくすると係官
が「お前、さっきどういう態度で点呼をうけたのか」と怒鳴るの
で「正座していた」と告げると、「正座はいい、正座はー膝の上は
なにをしていた」というので、「寒いので、上着をかぶせていた」
というと、「次からは駄目だぞ!」とえらい剣幕でおこられた。

この世界は、普通の常識は通用しない。また、この中で私はそれこそ
生か死かー大変な経験もさせられた。
イエスかノー以外は出来るだけ言わないーと言うのが

弁護士の指導である。といって、やはり何故イエスな

のか、ノーなのか説明したいものである。

私は、できるだけその背景や原因を付け加えた。それこそ

真実が分かってもらえると思ったからである。

弁護士の、印象は私が何を述べているか分からないと言う。

意外である。私は一生懸命真実を述べたつもりなのに、わ

からないとは、どういうことだ。そんな思いをしながら、

それでもできるだけ説明した。

私に依頼した清水公平が承認にでてきた。それはいいが、な

んということだろう、「アメリカの老人が旧紙幣を蓄財している。

日本の企業に投資するのに、お金がついたら渡すので送金してもらい

たい」とするものだったが、検事のお金はどこからきましたかの

質問に、清水は

「台湾の蒋介石がー云々」とか、「台湾からー」とか、わたしに

とって訳の分からない話をするので、私は驚いた。

渡辺にしろ、清水にせよ正確な話を一切しない。しかし、私は

真実だけ訴えるしかないと決心した。私の答弁の長さに余分なことを

言うのではと警戒したみたいだった。でも、真実に勝るものは無い。

地裁での裁判中は、私流というか未熟な私式で押し通したのである。


新幹線の車中から、私に電話してきた内容だと、

「乗務員が若かったので、旧札が分からず公安から

聞かれた。まだ財布にありますよと見せたら、失礼

しましたと引き下がった」また、私の会社の名詞を

出したと言うことだった。

私は、瞬間「それは、失礼だよな」と、若い乗務員

が旧札を知らないくらいで、公安に聞かすなんてー

と思ったからである。

それにしても、2、3日小社の手伝いで臨時的に作った

名詞をこんなとき出さなくても、自分が代表取締役を

務めるズーム株式会社の名詞があるのにと内心考えた。

小社の名詞を悪用したかに思ったからだ。

このとき、息子に「公安に聞かれたそうだ。名詞も小

社のを出したと言う。本物だけど話を合わさないとね」

とメールした。

臨時で作った名詞だけど、名詞自体は本物だ。どうせ

渡辺が勤めているかと聞かれたら、務めているという

ように話を合わせておかないとねーと、思ったのである。

どうも渡辺の証言を聞いていると、私への報告と違って、

「警察から、偽札かどうかで聞かれた。財布を見せたら

失礼しましたと引き下がった」というのだ。

公安は鉄道警察だろうから、それはいいとして紙幣が偽札

どうかを疑われて聞かれた」というのだ。乗務員が若かっ

たから、旧札が分からずーという話はどこにいったのか。

しかも、紙幣が偽札か、どうか疑われたというのである。

何故、そのことを事前に言わなかったのだ。お金と信じき

って私はどうなるのだ。

その渡辺の車中の翌日、日銀から偽札と判定されたので、

「絶対使ってはいけないぞ」といったのは、何のためだ。

おー渡辺よ!お前もかーと言った気持ちになったのだった。